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青春18切符一人旅 福島・会津若松
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2022年8月15日「東大寺大仏殿/万灯供養会」「春日大社/中元万燈籠」
8月15日(月) 奈良
スーパーホテル奈良駅前
東大寺大仏殿/万灯供養会
春日大社/中元万燈籠
スーパーホテル奈良駅前
88日/直江津
99日/黒姫~市振
10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り


今夜15日は、奈良「東大寺大仏殿/万灯供養会」と「春日大社/中元万燈籠」Y君と二人 参拝に出かける予定。


「スーパーホテルロハスJR奈良駅」510.511室シングル2部屋
ルームキーはなく
暗証番号で入室

6:00起床、ラジオ体操して、9:00~Y君と朝食でかける。奈良駅1Fビエラ奈良「やよい軒」で1000円定食を注文、ごはんはお替り自由で すごいボリューム。 
\2000地域クーポンで支払い。

ビエラ奈良1F「やよい軒」

夜は「奈良公園中元万燈篭」にでかけるので、夕方5時まで自由行動。
Kは旅の疲れも出てホテルの部屋で高校野球など観て過ごす。Y君は一人で奈良街歩きしてくる。
今日は外食はせずホテルの部屋で食べることに。二人で奈良駅のスーパーKOHYOに行き、いろいろ買ってくる。地産地消、奈良の食材が沢山ならぶ地元のスーパーで見て歩くのも観光してるみたいに楽しい。

88日/直江津
99日/黒姫~市振
10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り


少し休憩して、19時~二人で奈良公園方面に夕方の散策にでかける。
JR奈良駅から三条通り~東向商店街通って~近鉄奈良駅~奈良公園へ向かう。


東向商店街

近鉄奈良駅へ抜ける「東向商店街」変わった名前の由来は、昔、東側は興福寺の境内となっていて通りの西側のみ建物が建てられ、全ての建物が東を向いていて「東向」と呼ばれたが、興福寺が衰退すると、通りの東側にも建物が建ち現在に至っている。

いつもの万灯供養会
(写真=東大寺HP)

8月15日 東大寺大仏殿/万灯供養会
1985年(昭和60年)から盂蘭盆に帰省できない方にも先祖の供養ができるよう行われ、供養会では盂蘭盆の最ごの8月15日夜、大仏殿の周りに約2,500の灯籠が整然と並べられ、諸霊を供養する。1基の灯籠に4つの明かりが灯され、灯明の数は約1万になる。しかし、幻想的な光景が広がるはずが、新型コロナウイルス感染拡大防止で、昨年に続き今年も中止になった。旅行を計画した昨年からこの日を楽しみにしていたのに本当に残念。



大華厳寺(東大寺/南大門)

東大寺は天平5年(733年)若草山麓に創建された金鐘寺が起源で、南大門は962年(応和2年)創建、一度台風で倒壊して1203年(建仁3年)に再建された日本最大の山門、金剛力士像は、左に阿形(運慶と快慶)、右に吽形(定覚と湛慶)が、それぞれの小仏師12~13人と共に建立した。



88日/直江津
99日/黒姫~市振
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11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
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21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り

阿形像 吽形像

今日は普段、大仏殿の中でしか拝めない大仏様の、お顔が参道から拝むことができる日。中門の外から大仏殿の上の小窓(観相窓)に顔を、のぞかせている大仏様を拝む。この大仏殿は758年(天平宝字2年)に完成後、1181年(治承4年)と1567年(永禄10年)火災で2度にわたり焼失、現在の建物は徳川綱吉が逝去した1709年(宝永6年)に再建されたもの。


小窓(観相窓)から
顔をのぞかせた大仏様

東大寺・中門

東大寺大仏殿/万灯供養会を参拝して、春日大社へ向かい参道から入る。
春日大社は、8月14日と15日の2日間「中元万燈籠」参道の両側の燈籠に灯が灯り幻想的な光景が見られる。

①近鉄奈良駅 ②春日大社看板 ③南大門 ④大仏殿 ⑤鹿苑 ⑥奈良公園 ⑦猿沢池 ⑧⑨ならまち


参道の燈籠に火が灯り幻想的


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21日/清州城と円頓寺
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3,000基もの燈籠に火が灯る。中元万燈籠/春日大社
2022/8/14~8/15 19:00~21:30
800年前の昔から今に至るまで、貴族や武士をはじめ庶民から奉納された、春日大社の境内3,000基にも及ぶ燈籠に火を灯す神事。2月の節分と8月14・15両日の夜だけ行われます。石燈籠が整然と並ぶ二之鳥居から御本殿付近、そして釣燈籠が並ぶ朱塗の回廊などは、王朝絵巻を見るように幻想的です。
令和4年(2022年)の中元万燈籠は、コロナ禍前と同じように御本社回廊内の燈籠(約1,000基)と参道の石燈籠(約2,000基)の合計3,000基の燈籠が点燈されます。
--参照.Nara.Tourist.Guide
中元万燈籠/春日大社

中元万燈籠の春日大社 参道を孫のY君と歩く。本殿で参拝。

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22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り


自分から口を開くことはほとんどない彼が、中元万燈籠の夜を一緒に歩いた数時間、大学卒業後の夢についてはなし始めると、とめどもなく語り続け、じっくり聞いてあげる。ただ哲学的で理解するのに、時間かかりそうなので続きは、明後日から大阪で3日間は一緒の部屋なので、そっちで話を聞くことを楽しみにしたい。


21:30ホテルに戻る。
今日の歩行数12741歩 8.6㎞ Y君はその倍は歩いているようだった。

明日は奈良の最後の一日は、KとY君それぞれ自由行動の予定。

今日の歩行数9438歩
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8月16日(火)伊賀上野
奈良駅
伊賀鉄道/上野市駅
伊賀上野街歩き
上野市駅-伊賀上野
奈良駅
スーパーホテル奈良駅前
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15日/奈良/中元万燈籠
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18日/大阪街歩き
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22日/18切符旅の終わり
松尾芭蕉の生まれた伊賀上野へ

8月16日 快晴。6時起床ラジオ体操。今日は伊賀上野に出かける為の準備をして、8時頃、隣の部屋のY君をさそって奈良駅下の「やよい軒」で朝食、「いまなら地域クーポン」を利用して¥2000支払う。


奈良駅/ビエラ奈良「やよい軒」の定食
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20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
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24日下部温泉/墓参り


今日は一人で、松尾芭蕉の生まれ故郷/伊賀の街歩きにでかける。
奈良駅発9:20分、京都行の電車にのり、9:34分 加茂駅で乗換え 9:40分発の亀岡行で10:16分伊賀上野駅に到着。


『せんとくん』
平城遷都1300年記念事業の公式マスコットで2011年から奈良県のマスコットキャラクター

JR伊賀上野駅で電車を降り改札の駅員さんに 伊賀城の方向を尋ねると、この駅は芭蕉の生まれた街の最寄り駅でなく、私鉄.伊賀鉄道の「上野市駅」が最寄り駅で、ここからは4~5㌔先で城までは相当歩くよー、と意外な言葉が返ってきた。今日歩き始める駅を「私鉄・上野市駅」のところ「JR・伊賀上野」と勘違いしていたのだ。


JR/伊賀上野駅

仕方がない、4~5㌔位なら歩こうと、駅を背に伊賀城方面に歩きはじめる。しかし100㍍ほど歩いた頃に、辺り一帯みるみる暗くなり、突然の雷雨、地面を叩きつけるように降り始め前に進めない。幸い近くに軒下を見つけ、茫然としながらしばらく雨宿り。この雨の中を数キロ歩くのは無理、小降りになるのを見計らって、伊賀上野駅に戻る。あきらめて奈良に戻ろうかと、待合室で帰りの電車を待つ...それが真っ暗だった空から、眩しく陽が差し始めてくる!


豪雨の後のJR伊賀上野駅の端に伊賀鉄道プラットホーム
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駅を間違い、ロスした時間は1時間くらい、気を取り直して、「JR伊賀上野駅」のホームの端にある 伊賀鉄道11:01分発の電車に乗って「上野市駅」へ行くことにする。


上野市駅(忍者市駅)改札口前

僅か7分で3つ目の上野市駅に到着、駅の別名は忍者市駅という。
さっき、伊賀上野駅前で降られた豪雨はなんだったのだろう、今は嘘のように真夏の陽射しがよみがえり、さっきまでの雨傘を日除け傘に用途を変え、伊賀街歩きを始める。


上野市駅

伊賀鉄道/上野市駅(忍者市駅)

芭蕉記念館

出発駅は違ったが、予定通り、上野市駅から歩き始め、伊賀城/公園~芭蕉記念館~芭蕉生家へまわる道をたどる。



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松尾芭蕉は 
寛永21年(1644年)ここ伊賀上野で生まれ、29歳まで過ごした生家。俳号は初め宗房を称し~桃青~芭蕉(はせを)と改めた。元禄7年(1694年)大阪・南御堂まえの花屋仁左衛門宅で五十歳で亡くなり、遺言により大津市/義仲寺に埋葬された。


伊賀市上野赤坂町/松尾芭蕉生家

現在の伊賀上野の街は、ごく普通の町の風景だが、芭蕉が生まれたころは、おそらく何もない一面野原の中の一軒家ではなかったのではないだろうか。忍者の里 伊賀で生まれ、全国行脚の旅を続けたので「芭蕉忍者説」があるのもうなうずける。


伊賀/寺町通り

芭蕉生家跡から、立派な寺院の並ぶ、伊賀/寺町通りを抜け、伊賀鉄道.茅町駅前を通って芭蕉の門弟.服部土芳の草庵「蓑虫庵」へ。


伊賀鉄道茅町駅


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大和街道の道標

上野天満宮近くで見かけた碑、この道は関宿で東海道と分かれ、奈良へと続く大和街道。江戸時代には参勤交代の大名たちが通り、古くは源義経が木曽義仲を討ったとき駆け抜けた戦の道でもあった。

      蓑虫庵について----参照/芭蕉翁顕彰会
芭蕉翁が伊賀に帰郷した時には、兄のいる生家だけでなく、門弟の庵を一時の住居としたこともあり、そうした庵の中で、無名庵、西麓庵、東麓庵、瓢竹庵、蓑虫庵を芭蕉五庵といい、その中で唯一現存するのがこの蓑虫庵。門弟服部土芳の草庵で貞享5年(1688)3月庵開きの祝いとして芭蕉翁が贈った句「みの虫の 音を聞きにこよ 草の庵」にちなんで名づけられた。「古池や 蛙飛びこび込む 水の音」の句碑古池塚などがある。

「蓑虫庵」を見たあと、歩いてきた道を上野市駅(忍者市駅)へ戻る。

上野市駅(忍者市駅)前広場の旅姿の芭蕉像
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上野市駅(忍者市駅)から12:48分発の「忍者列車」に乗ってJR伊賀上野駅へ。
は、銀河鉄道999/宇宙戦艦ヤマトの作者:松本零士氏がデザインしたのラッピング列車。


伊賀鉄道「忍者列車」

12:55分にJR 伊賀上野駅に到着。12:59分の加茂駅行に乗換、13:34分加茂駅着、13:43分の奈良行に乗換 13:58分奈良に帰ってくる。
ホテルに戻り、猛暑の伊賀散歩で汗かいたので、お風呂に入り靴下-下着-上着を洗濯して夕方まで部屋で休憩。


17時~孫のY君と奈良で最後の夕食は奈良駅前の餃子王将へ行く。

部屋のテレビNHK-BSで、3年ぶりの京都『五山送り火』の中継を見る。
京都「五山送り火」盆を締めくくる伝統行事で、迎え火によって現世に迎えた祖霊(お精霊さん)を再び浄土(死後の世界)に送るという意味があります。送り火が一般に広く行われるようになったのは、とくに室町時代以降であるといわれています(林屋辰三郎 1960など)。歴史史料にあらわれるのは15世紀以降のことで、おそらく、江戸時代中期には現在の「五山送り火」が成立していたであろうと考えられます。 ただ、五つの送り火にはそれぞれの違った由緒が伝承されており、起源とされる時期も平安時代初期、鎌倉時代末期、室町時代中期、江戸時代初期などさまざまで、同時代の記録は皆無に近く、すべて後世の人々による推測になります。なぜ、「五山送り火」の発祥が同時代の記録にはあらわれてこないのは、お盆行事は祖霊信仰と仏教が結びついた宗教的行事であり、地元の人々の信仰によって始められ、受け継がれてきたもので国家的・政治的なものではないため、公的な記録にとどめられなかったのではないかと考えられます。
なお、京都五山送り火は、昭和58年「大文字送り火」「松ケ崎妙法送り火」「船形万燈籠送り火」「左大文字送り火」「鳥居形松明送り火」として、それぞれ京都市無形民俗文化財に登録されています。
                   『京都五山送り火』HPより参照

明日は、Y君と二人で大阪へ移動し、17日~19日新今宮「大阪逸の彩ホテル」に3泊する。
今日の歩行数11296歩

(スーパーホテルロハスJR奈良駅/楽天.予約/3泊\23650 \18000分地域クーポン付き実質2人-3泊- 5650円
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8月17日
8月17日(水)奈良~大阪へ
奈良駅
篠山口駅
大阪・新今宮
大阪逸の彩ホテル
通天閣
大阪逸の彩ホテル

8月17日~通天閣至近の「大阪逸の彩ホテル」へ
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22日/18切符旅の終わり

8月17日は奈良から大阪へ移動。
奈良駅発 9:00分~9:53分 大阪駅で乗換 10:22分~11:35分 篠山口行きに乗車、丹波篠山から明智光秀ゆかりの福知山周辺散策の予定。

大阪駅で篠山行に乗換

しかし篠山口駅で福知山行に乗換でホームに立つと、あいにくの小雨、今日の丹波篠山・福知山街歩きは残念だが又の機会にして。篠山口駅から大阪へ戻ることにする。

 丹波/篠山口駅

篠山口発 12:09分~13:22分 大阪駅で環状線に乗換、今日から3日滞在予定の「大阪逸の彩(ひので)ホテル」の最寄の新今宮駅で下車する。その頃には雨もあがって、右に通天閣を眺めながら10分ほど歩いてホテルに到着。




新今宮駅からホテルへ

「大阪逸の彩(ひので)ホテル」
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ホテルでは、奈良から孫のY君が先に着いて、チェックインしていた。
予備のルームキーをもらって1509号室へ。


着替えて早速大浴場へ。一階ロビーから一度外に出て別棟の2階が男子大浴場。午後3時少し前なので誰もいないので大浴場が貸切状態。



大浴場入口



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湯船も広くホテル自慢の天然温泉。2階が男性 3階が女性
サウナもあってゆっくり疲れもすっかりとれた。


グラスをセットすると下からビールが湧き上がるサーバー「トルネード」

サーバー「トルネード」

ホテル一階レストランは、日本酒、ワイン、アサヒ生ビール、アイスクリーム、ジュースが全てフリーという破格のサービス。


部屋で少し休憩して18時~通天閣名物の「くしカツ」を食べにでかける。


1509号室ツインルーム
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22日/18切符旅の終わり

「くしカツだるま」に入る予定だったが、この辺りで評判の人気店で空席待ち。大阪はコロナ感染爆発の地域でこれはちょっと危ないと考え、近くで空席の多そうな「串カツ壱番」に入って夕食。ちょっと食べて5000円、値段の割に美味しくない、名物に旨いもの無しの典型。

くしかつ壱番 新世界本店

↑平焼き ↓串カツ・おまかせ盛り合わせ
 
宿泊ホテルは通天閣から数分の便利な場所。夕食後は部屋に帰ってY君の卒業後の目ざしている仕事や目標など、奈良で話してくれた続きを聞く。難しい話も多く、理解できない部分もあって、世代の違いで、考え方がこんなに違うのかと驚いた。しかし、目標を持って毎日を過ごすのはすごくいいこと、全力だして頑張るようにエールを送る。



通天閣で串カツ食べてホテルに帰る
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奈良では三日間部屋が別々だったが大阪ではツインルームで三日間一緒に過ごす。Y君の希望で、6日間奈良大阪をお盆で過ごすことになって、嬉しいような面倒くさいようなでもある。

今日の歩行数3316歩

「大阪逸の彩(ひので)ホテル」Booking.予約/3泊-朝食込み\15921
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8月18日
8月18日(水)大阪街歩き
大阪逸の彩ホテル
芭蕉終焉の地
心斎橋
千日前
大阪逸の彩ホテル

大阪/御堂筋 際の松尾芭蕉終焉の地
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22日/18切符旅の終わり




朝食は7時~ホテル自慢のお寿司食べ放題、美味しいのでついつい朝からちょっと食べ過ぎでてしまう。身長(㍍)X身長(㍍)X22=理想体重で計算すると、2㌔もオーバーしてしまっている。


天気予報は午前中雨~曇り~晴れと目まぐるしい。夜明け前には豪雨注意報が出るなど荒れ模様の天候だが徐々に回復しつつある。


千日前道具屋筋商店街

天気が回復してきたので、午前10時ホテルから、難波界隈へ向かって歩き始める。



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22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り


千日前道具屋街を抜けると関西お笑いの殿堂、なんばグランド花月まえ。すぐ横の「たこ焼道楽 わなか」でたこ焼き買って2階のイートインスペースで休憩。


道頓堀の戎橋の上でグリコサイン見ているときY君に、昔Mと大阪に来た時、夜の観光船に乗って夜景がとても奇麗だった話すると、「船に乗りたい」というので「いいよ」とドン・キホーテ前の船着き場へ。


ちょうど11時出航時間に間に合って、急いでチケット買って乗船する。


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17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり


20分の短い時間の運航で、戎橋やいくつかの橋をこぐって道頓堀川を往復、グリコサイン下で記念撮影停船してドン・キホーテ船着き場に戻ってくる。


Y君と戎橋の上でお別れ、それぞれ自由行動にする。「芭蕉終焉の地」へ行くため心斎橋商店街を南御堂(芭蕉終焉の地の近く)方面目指して進む。


道頓堀から30分くらい歩いて、大阪メトロ御堂筋線・本町駅入口で地図を確認する。「芭蕉終焉の地」久太郎町3丁目はすぐ近くだ。

88日/直江津
99日/黒姫~市振
10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り

「芭蕉終焉の地」の碑

あった!「芭蕉終焉の地の碑」御堂筋の側道の植え込みの中に小さく建っていた。  1932(昭和7)年、御堂筋拡張工事が行われ、芭蕉終焉の地である花屋仁左衛門宅が消滅することになってしまった。それを憂いた俳人有志によって「此付近芭蕉翁終焉ノ地ト伝フ」と刻んだ石柱を御堂筋の緑地帯に建てられた。 


328年前、この地で芭蕉はこの場所で生涯を閉じた

松尾芭蕉は 
寛永21年(1644年)伊賀上野で生まれ、元禄7年(1694年)大阪・南御堂まえの花屋仁左衛門宅で亡くなり、遺言により大津市/義仲寺に埋葬された。
辞世の句「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」


御堂筋を挟んで反対側の南御堂(真宗大谷派難波別院) をお参りに寄る。


南御堂(真宗大谷派難波別院)
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22日/18切符旅の終わり
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南御堂境内の芭蕉句碑。
芭蕉辞世の句「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を刻んだ句碑は1814(天保14)年、芭蕉翁150回忌に天保時代の俳人たちによって建立された。


南御堂の山門からは、御堂筋の向こう側に「芭蕉終焉の地」の碑が小さく見える。

南御堂(浄土真宗/大谷派)を出て、御堂筋を左に歩いて10分ほどで、北御堂(浄土真宗/本願寺派)の前にでる。
北御堂と南御堂は同じ浄土真宗で、大阪市民からは「お北さん」「お南さん」と親しみ込めて呼ばれている



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北御堂(本願寺津村別院)

御堂筋の名前の由来は、本町付近の沿道にある2つの巨大な寺院「北御堂」と「南御堂」2つの御堂を結ぶ道から「御堂筋」と呼ばれるようになった

北御堂をお参りしたあと、心斎橋から道頓堀~難波方面に引き返す。


戎橋にへ戻ってくる。朝に寄れなかった法善寺横丁へ。

戎橋の上から両側の景観
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かつて京都宇治にあった浄土宗天龍山法善寺は、寛永14年(1637)ときの住職である中誉専念法師が「金毘羅天王墾伝」の故事に基づき、現在の大阪難波の地に移転しました。念仏聖の専念法師は、人々の供養のために千日間にもおよぶ念仏回向を勤めるなど、民衆に寄り添う日暮らしを送られました。大阪ミナミの法善寺一帯の地域が「千日前」と呼ばれるようになったのは、この専念法師が行った「千日念仏回向」に由来します....法善寺HPより転載
法善寺

法善寺・水かけ不動

旅行前に、たまたまNHKプラスで「アッコと恵美子」という番組を観ていて、それを参考に法善寺横丁周辺を歩いてみる。


法善寺横丁


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法善寺横丁・浮世小路

「アッコと恵美子」番組に出てきた法善寺横丁の浮世小路を抜ける。普通はちょっと気づかない細くて暗い小路。浮世小路には小さな神社やレトロな写真が張り出されている。

浮世小路壁に
「ナンバ一番」

「アッコと恵美子」の番組で和田アキ子が、東京に進出が決まり出発前夜、決意の表情で寄った喫茶店「アラビアコーヒー」に入る。

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和田アキ子が近くにあった、「ナンバ一番」というジャズ喫茶に出演後よく立寄ったとこの店のママさんが話していた。

 ブレンドコーヒー\550-

喫茶「アラビア」近くの「ナンバ一番」はプロ歌手デビューへの登竜門となり、そこからは、和田アキ子始め「ザ・タイガース」「オックス」などが生まれている。



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22日/18切符旅の終わり

喫茶「アラビア」から一度ホテルに戻り休憩する。


夕方Y君と夕食にまた難波に出かける。
今夜は行く前から決めていた、カレーの「自由軒」。
明治43年創業という歴史ある老舗洋食店。


レトロな雰囲気「自由軒」

カレーの「自由軒」夫婦善哉の作者 織田作之助も愛した名物カレー屋さんで、レトロな雰囲気がとてもいい。


生卵が二つ乗った 名物カレー(大)
メニューから名物カレーを注文
Y君はカレー+オムレツを注文。食べ盛りなんでも二人前だ。


食べ歩きを楽しんだ一日。

今日の歩行数21732歩


「大阪逸の彩(ひので)ホテル」Bookingで予約/3泊-朝食込み\15921
青春18切符一人旅 福島・会津若松
HOME Ken & Mary's Second Life
電車 バスタクシー 自転車 徒歩 ホテル
8月19日(金)膳所~敦賀
新今宮駅
滋賀県大津市/膳所
福井県/敦賀
気比の松原
敦賀市内
新今宮/大阪ホテル

8月19日滋賀県大津市膳所「義仲寺」にある松尾芭蕉のお墓参り


大阪逸の彩ホテル
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22日/18切符旅の終わり


8月19日大阪最後の一日は、大津市・膳所に寄ってから、8月14日に大雨の福井で電車の運行が乱れて行けなかった、福井県敦賀の町へ青春18切符を使って出かける。


7:30大阪逸の彩ホテルでY君と二人で朝食。今日は自由行動。


快晴、猛暑の一日になりそう。ホテルを出発してすぐ前の信号渡り、新今宮駅へ新世界通りを通天閣に寄っていく。朝の通天閣は夜の風景とうって変わって人通りが少ない。

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24日下部温泉/墓参り


JR新今宮駅から9:15分の電車に乗る、9:32分大阪駅に着いて、9:40の電車に乗換、芭蕉の墓地のある滋賀県大津市/膳所駅に10:33分到着。

駅前広場にある「芭蕉・義仲顕彰の街」碑。

青春18切符を提示し、膳所駅を出て駅前からゆるい坂道を下って「義仲寺」へ向かう。途中で「よしなかでら」と道を尋ねると一瞬首をひねって、あ「ぎちゅうじ」ですねという。「義仲寺(ぎちゅうじ)」と読むんだ。言われた通りに進んで、駅からは10分ほどで義仲寺の門前に着く。


「義仲寺(ぎちゅうじ)」木曽義仲は、平家討伐の兵を挙げ都に入った帰り、源頼朝が送った源範頼・義経の軍に追われて粟津で壮烈な最期を遂げここに葬られた。
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義仲寺/入場券   
  大津・義仲寺と松尾芭蕉   .....「歌舞伎素人講釈」より転載 
芭蕉が大坂・御堂筋の旅宿「花屋仁左衛門」の離れで亡くなったのは元禄7年(1694)10月12日、芭蕉51歳のことでした。芭蕉がこの時どうして大坂にいたのかと云うと、仲が悪かった弟子の珍碩と之道の争いの仲裁のため、大坂に来ていたのです。侘び・寂びの世界からほど遠い弟子の世俗的な諍いに芭蕉も悩まされていたのですねえ、可哀そうに。芭蕉は前年頃から体調がすぐれなかったそうです。元禄7年10月にはいって病に伏し、9日に弟子呑舟を呼んで筆を磨らせて「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という句を詠んで、これが辞世の句となりました。芭蕉の臨終の様子は、其角の「芭蕉翁終焉記」などにあります。
芭蕉は生前から「骸(から)は木曽塚に送るべし」と遺言していたそうです。これに従い芭蕉の遺骸は臨終の日の夜のうちに伏見に向けて舟で出発し、翌13日昼過ぎ伏見から大津の義仲寺へ運ばれました。14日に葬儀が行われ、同日深夜に境内に埋葬されました。葬儀に参列した門人は80名、会葬者は300余名にのぼったそうですから盛大な葬儀でした。芭蕉の忌日は「時雨忌」と呼ばれ、義仲寺では旧暦の時節に合わせて毎年11月の第二土曜日に法要が営まれるそうです。
義仲寺(ぎちゅうじ)は、大津市馬場一丁目にある天台宗のお寺です。義仲寺には「平家物語」に朝日将軍の名で登場する源義仲(木曽義仲)のお墓があります。寺の創建については定かではありませんが、このあたりは昔は粟津ヶ原と呼ばれて、琵琶湖に面した美しい景勝の地でした。治承4年(1180)、源義仲が信濃の国(現在の長野県)で平氏討伐のため挙兵し、寿永2年(1183)には倶利伽羅(くりから)峠の戦いに平家に勝利して都入りしました。しかし、その後は義仲軍の都での狼藉の悪評によって後白河法皇と対立し、さらに平氏だけでなく、源頼朝など源氏内部での抗争が激化し、宇治川・瀬田の戦いで頼朝の命を受けた源範頼・義経軍に敗北して追われ、ほどなく粟津の地で討ち死にしました。それは寿永3年(1184)1月20日のことでした。義仲の死後、愛妾であった巴御前が尼となって、義仲の墓所近くに「無名庵(むみょうあん)」と云う草庵を結び、義仲を日々供養した、これが寺の始まりだと伝えられています。寺は別名、巴寺、無名庵、木曽塚、木曽寺、また義仲寺(よしなかでら)とも呼ばれたという記述が鎌倉後期の文書に見られるそうです。寺は一時荒廃しましたが、江戸期に入って再興されました。
芭蕉が義仲寺を訪れたのは奥の細道の旅から帰った元禄2年(1689)のことで、ちょうど寺の大修理が終わった頃であったようです。芭蕉はこの地が気に入り、その後同寺をたびたび訪れ無名庵に滞在しました。それにしても芭蕉はどうして「骸(から)は木曽塚に送るべし」と遺言するほど源義仲がそんなに好きだったのですかねえ。「むざんやな冑の下のきりぎりす」は「奥の細道」にある句で、芭蕉が石川県小松市の多太神社で斎藤実盛のものと伝えられる冑を見て詠んだものです。実盛と義仲には深い因縁があって、これは歌舞伎の「実盛物語」でもご存じの通りです。あるいは「平家物語」の義仲の逸話に何か個人的に気に入ったことがあったのかも知れません。しかし、どうして義仲寺かについては定説がないようです。当時の大津は東海道・中仙道が交錯する交通の要所でした。だから、旧東海道に沿った義仲寺は弟子が墓参りするのにも何かと都合が良かろうと考えたのかも知れません。後に弟子の曾良が「あの時にもし遺言がなかったら、弟子たちの間で芭蕉をどこに葬るか議論になって決着が付かなかっただろう」と回想したほどだそうですから、その辺芭蕉も気を遣ったのではないか。死んだ後の事まで弟子たちの心配をせねばならないのだから、芭蕉も大変なことですね。

義仲を支えた側室.巴御前の塚

木曽義仲の墓 芭蕉の墓

義仲寺・本堂
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22日/18切符旅の終わり
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松尾芭蕉は寺と湖南の人びとを愛し、たびたび滞在、境内にある無名庵で句会も盛んに行われた。大坂で亡くなった芭蕉が「骸(から)は木曽塚に送るべし」との遺言により元禄7年(1694年)10月、義仲の墓の横に葬られた。


義仲寺参拝を終えて、膳所駅に戻りる。11:26分発の電車で11:32分山科で乗換11:50~13:15分敦賀駅に到着

山科駅発11:50分敦賀行きに乗車

JR山科駅11:50発の電車に乗る。JR湖西線は琵琶湖左岸を走り抜けて13:15分敦賀駅に到着した。

敦賀駅
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敦賀駅前「心の旅-敦賀への道-」像

猛暑で、気比の松原へは敦賀駅前から13:20分発のコミュニティバスに乗りむかう。


13:30気比の松原バス停で下車。バスを降りると目の前が、名所・気比の松原


気比の松原を抜けていくと気比の松原海水浴場。芭蕉はここから北上して10㌔さきの「色ヶ浜」まで歩いて『寂しさや 須磨にかちたる 浜の秋』を詠んでいる。「色ヶ浜」から3㌔先には敦賀原子力発電所。それを知ったら芭蕉もびっくりだろう。

「色ヶ浜」から3㌔先に
敦賀原子力発電所
気比の松原海水浴場から左先に原発がある

気比の松原遊歩道


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気比の松原海水浴場から、敦賀の町中へ猛暑のなか日傘をさし歩く。


敦賀城跡近く

気比の松原から敦賀城跡地横を通って30分ほど、芭蕉が敦賀で逗留した出雲屋跡のあるヨーロッパ軒前に出る。この店はソースカツ丼で福井では有名な店。


ソースカツ丼のヨーロッパ軒

敦賀で芭蕉が詠んだ「名月や 北国日和 定めなき」。
敦賀で滞在した、ヨーロッパ軒近くの出雲屋跡の碑

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芭蕉逗留出雲屋跡から10分ほど歩くと敦賀の“北陸道総鎮守”と称される『気比神宮』

気比神宮

元禄2年旧暦8月14日の夜に松尾芭蕉は気比神宮を参拝、月明かりに照らされた神前の白砂とその云われに感動し「月清し遊行の持てる砂の上」と詠んだ。


『気比神宮』お参りを終えて敦賀駅へ20分ほと歩いて戻る。


敦賀市清水町1丁目~2丁目のよく整備された通り
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敦賀駅の待合室で休憩して、15:23分発の姫路行に乗車して乗換なしで、17:27分大阪駅に到着。


まだ時間も早いので、久しぶりに大阪駅周辺を散策していく。

↑阪神デパート 阪急デパート↓

阪急大阪梅田本店前コンコースを歩く。きれいになった大阪駅地下街にびっくり。

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外国の街を歩いているような阪急大阪梅田駅 コンコース

大阪駅周辺をあちこち歩いてから、大阪駅18:12分の大阪環状線内回り快速電車で18:30分新今宮駅に帰ってくる。


JR・新今宮駅

新今宮駅から帰り道、右にそれてまわり道して通天閣を通っていく。


通天閣公式キャラクター「ビリケン」神社
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新世界通りから信号を渡りホテルに戻る。今日の歩行数21732歩

新世界通り

ホテルに帰り、屋上に一度も上がらなかったので大阪の夜景を見に18階屋上へ。

大阪逸の彩ホテル屋上

ホテル自慢の眺望「あべのハルカス」と「通天閣」が夜空にそびえている。
あべのハルカスは横浜ランドマークタワーを抜いて、2022年現在日本で最も高い高層複合商業ビル



屋上から あべのハルカスと通天閣

明日8月20日は大阪滞在を終え、Y君と別れ最後の目的地、名古屋へ移動する。

今日の歩行数 28285歩 19.8㌔

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8月20日(土)大垣~名古屋
大阪逸の彩ホテル
新今宮
大阪~大垣
大垣街歩き
大垣駅
名古屋/久屋大通駅
名鉄イン名古屋錦

8月20日、「おくの細道」むすびの地 大垣/船町港....
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大阪逸の彩ホテル一階レストラン、7:30分~二人で最後の朝食。
Y君とは、奈良から大阪へ6日間一緒に旅してきたが今日でお別れ。

 
8:30分、Y君を部屋に残し別れを告げ一人でチェックアウト。

 
新世界本通り から大阪のシンボル『通天閣』に寄っていく。
大好きな最も大阪らしい、この景色も今日で見納め。

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通天閣・王将碑
 王将坂田三吉は明治3年6月堺市に生まれる。
幼少より将棋一筋に見きわめめぐまれた天分と努力は世の人をして鬼才といわしむ。性温厚にして妻小春とともに相扶け貧困とすべての逆境を克服する。昭和21年7月(77才)大阪市東住吉区に没す。 
同30年10月生前の偉業をたたえられて日本将棋連盟より棋道最高の名人位 王将位を追贈される。翁によって大阪人の土根性の偉大さをしらしめたる功績は私たちの追慕しやまざるところここ由縁のち通天閣下にこれを顕彰する。      昭和44年10月吉日  王将碑建立有志の会

スパワールド世界の大温泉まえから
 
JR新今宮駅9:08分の電車で大坂駅へ。

 
9:32分大阪駅の⑧番線から近江塩津行き9:30分で10:54分米原で下車、11:00大垣行に乗換、大垣11:32分大垣駅に到着。

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21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り

 
岐阜県・大垣市は、松尾芭蕉『おくの細道』むすびの地(終着地) 芭蕉の足跡を辿って東京・千住から何度か旅を重ねてきて、とうとうこの地まで足を運び目にすることに感慨を覚える。


大垣駅
 
大垣駅を背に駅前通りを進む。このアーケード商店街には、亡き兄の友人が経営するメガネ屋さんがあり、挨拶するため寄っていく。自分も面識のあった、兄の友人の先代は10年前に亡くなり、経営は息子さんに代替わりしていた。初対面だったが、亡き先代や兄の思い出話を交わし心が温まった。

 
駅前通りのアーケード商店街のメガネ屋さんから反対側に入ったところに、大垣城がある。大垣城は関ケ原の戦いで、西軍・石田三成の本拠地となったが、戸田氏鉄公が東軍で戦功により十万石の初代藩主となり明治まで続いた。昭和20年(1945)7月戦災で焼失。昭和34年(1959)4月、4層4階の天守を再建、大垣のシンボルとなっている。

88日/直江津
99日/黒姫~市振
10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り

大垣城

大垣城から住宅街をすすみ、まもなく、水門川の、おくの細道むすびの地、住吉燈台・船町港にでる。


1689(元禄2)年旧暦8月21日、芭蕉は5ヶ月にわたる『おくの細道』の旅を大垣で終え、「蛤の ふたみに別 行秋ぞ」と詠んで、式年遷宮の伊勢神宮を目指し、水門川の船町港から揖斐川を舟で下っていった。


水門川の船町港


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13日/山代温泉~福井
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21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り

住吉燈台・船町港

水門川・すみよし橋
芭蕉句碑/大垣ミニおくの細道

芭蕉がおくの細道を終え、ここ大垣の船町港から伊勢神宮に向かう船に乗った。その船着き場から大垣駅までは大垣ミニおくの細道という小道があり、芭蕉がおくの細道で詠んだ代表的な22句の句碑が並んでいる。

88日/直江津
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10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
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21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り

順序が逆になるが、おくの細道むすびの地から水門川を大垣駅に向かって、歩いていく。最後の句の結びの地「蛤の ふたみに別れ 行秋ぞ」から次の敦賀・色ヶ浜で詠んだ「寂しさや 須磨に勝ちたる 浜の秋」の碑から大垣駅に向かってミニおくの細道の遊歩道を歩いて行く。

市内の二つに分け流れる清流「水門川」

ミニおくの細道は水門川の美しい流れに沿った遊歩道で、芭蕉の代表的な句が説明文と一緒に置かれている。

水門川の美しい流れに沿った遊歩道

水門川・美登鯉橋
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21日/清州城と円頓寺
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おくの細道むすびの地、住吉燈台・船町港からミニおくの細道を進んでいく。



敦賀「名月や 北国日和 定なき」 

加賀市・全昌寺「庭掃て 出でばや寺に 散柳」

大垣城・竹橋口門跡から~清水橋横に大垣市役所を見ながら進み、丸の内橋から八幡神社に寄りお参りする。

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八幡神社境内に「大垣の湧水」という自噴水が有名。


八幡神社・大垣の湧水

八幡神社からミニおくの細道を大垣駅に向かって進み「五月雨を集めて早し最上川」「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」の句碑から東外側橋すぎると大垣駅はもうすぐ。


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大垣市内を周遊してきて、大垣駅には午後1時に帰ってくる。


大垣発13:41分発豊橋行の電車で14:13分に名古屋駅着。
地下鉄に乗換14:22~14:27久屋大通駅で下車、ホテル最寄りの④出口から出て、ファミリーマートでとんかつ弁当牛乳など買って、今日明日2泊する「名鉄インホテル名古屋錦」へチェクイン918号室へ。 


「名鉄インホテル名古屋錦」

18時Mに電話様子を聞く。あさって22日は夜遅く帰宅予定だったが、一番電車で帰ることにする。

名鉄イン名古屋錦 は昨年Mとお伊勢参りの帰り泊ったホテルの直ぐ近く裏通りだ。

今日の歩行数13321歩

名鉄イン名古屋錦」Agodaで予約/2泊-朝食込み\7746

青春18切符一人旅 福島・会津若松
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8月21日(日)清州~名古屋街歩き
名鉄イン名古屋錦
久屋大通駅駅
名古屋~清州駅
清州城~清州駅
名古屋駅
円頓寺通り
名鉄イン名古屋錦

レトロな雰囲気-名古屋・円頓寺商店街
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21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり





部屋からMIRAI TOWER(旧名古屋テレビ塔)

8月21日旅行最後の予定は、名古屋郊外の清洲城から名古屋・円頓寺商店街を歩く。
6時半ラジオ体操してから一階レストランで朝食。
2泊(朝食込)\7746、格安なので朝食はこんな感じで別に不満はない。


名鉄イン名古屋錦ホテルは交通の便は至極よく最寄り駅の地下鉄・久屋大通駅へは数分で行ける。久屋大通駅8:15分~8:20分名古屋乗換、8:33分発~8:40分に清洲駅着


JR東海道線・清洲駅
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清洲城へはJR清洲駅から歩いていく。事前にチェックした地図では1.2㌔17~18分で歩ける見当だった。しかしどこで間違えたか逆の方向にだいぶ歩いてしまった。歩道に歩く人は皆無で周りに民家も商店もなく困ったしまった。そうだ、スマホの道案内ナビゲーションが思い浮かぶ、外でスマホはほとんどを使ったことがなかったが、起動しナビゲーション使ってみる。無事音声で案内してもらいあっという間に到着。


BSプレミアムで再放送中「おんな太閤記」今朝放送分が、本能寺の変で織田信長が明智光秀に倒された回だった。テレビを観た直後にホテルを出発して清洲城に来たので一層興味深かった。

清洲城
清洲城について.....by Wikipedia参照
弘治元年(1555年)信長が那古野城から移って本拠として居城した。信長は、この城から桶狭間の戦いに出陣するなど、約10年間清洲を居城とした。1562年(永禄5年)には信長と徳川家康との間で同盟がこの城で結ばれた(清洲同盟)。永禄6年(1563年)には美濃国斎藤氏との戦に備えて小牧山城に移り、以後は番城となった。天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が斃れると、清洲城にて清洲会議が行われ城は次男・織田信雄が相続した。文禄4年(1595年)には福島正則の居城となった。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの折りには、東軍の後方拠点として利用され、戦後は安芸に転封した福島正則に代わり慶長12年(1607年)には家康の九男徳川義直が入城し、清洲藩の本拠となった。慶長14年(1609年)徳川家康によって、清洲から名古屋への遷府が指令されると、慶長15年(1610年)より清洲城下町は名古屋城下に移転された(清洲越し) 清洲城も名古屋城築城の際の資材として利用され、特に、名古屋城御深井丸西北隅櫓は清洲城天守の資材を転用して作られたため「清洲櫓」とも呼ばれる。
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24日下部温泉/墓参り

清洲城見学して、清洲古城跡公園を通って東海道線沿いの小路を30分ほど歩いてJR・清洲駅へ戻ってくる。


清洲駅②岐阜行9:41分の電車で名古屋へ

清洲駅発9:41分発 岐阜行の電車で 9:47分名古屋駅に戻る。
 
JR名古屋駅前のシンボル円錐のモニュメント「飛翔」は鉄骨が組まれ撤去工事が進んでいた。リニア中央新幹線開業に伴う駅前再整備の一環。


名古屋駅前.左側「飛翔」の撤去工事が進んでいた
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18日/大阪街歩き
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20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり


名古屋駅から、桜通り地下街・ユニモールを歩いて、地下鉄国際センター駅へ進み地上にあがると、 円頓寺商店街は古い家並みの通りを抜けるとすぐだった。


名古屋駅桜通り地下街・ユニモール地下街

日蓮宗・円頓寺
円頓寺名由来の円頓寺。
「ありとある たとえにも似ず 三日の月」--芭蕉
元禄元年(1688年) 松尾芭蕉が「笈の小文」途上、ここ円頓寺にで詠んだ句

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円頓寺商店街は、大須商店街などと共に江戸時代から続く商店街で、1609年徳川家康によって、清須城下町が名古屋城下に移転された(清洲越し)以降、名古屋中心を流れる堀川近くにあり寺の門前町としても発展していった。


賑わっていた昔の面影はなく廃れた感じの商店街だが、その中で少数だが頑張っている店もある。円頓寺門前の昭和の風情のお店「松川屋」ご夫婦で営む陶磁器屋さんもその一つ。


円頓寺商店街
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22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り


商店街を抜けたその先に、古い蔵や屋根神様の残る保存地区「四間道(しけみち)」がある。やはり名古屋城築城の際(清洲越し)に作られた商人の町。



「四間道(しけみち)」の通りの民家に屋根神様が祀られている


古い家並みの那古野「四間道(しけみち)」

円頓寺からホテルへ11:00戻るデイリーヤマザキでおむすびやパン買って部屋へ洗濯して15時最後の食事。

今日の歩行数14117歩

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青春18切符一人旅 福島・会津若松
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8月22日(月)名古屋~帰宅
名鉄イン名古屋錦
地下鉄/久屋大通
JR名古屋駅
浜松~富士~熱海
東京駅
帰宅

8月22日 一人旅も今日で終わり、青春18きっぷも最後の5回目使用。
88日/直江津
99日/黒姫~市振
10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
8月22日 いよいよ一人旅最後の一日、というか やっと最後の一日 青春18きっぷ、残りもあと一回だけ5回目を使って帰宅する。
爆発的なコロナ陽性者数の報道を横目で眺めながら、感染しない注意をしっかりして過ごした2週間だった。最終日は、久屋大通駅~名古屋~浜松~富士~熱海~東京~自宅まで、ひたすら電車に乗って家路をたどるだけの一日。


部屋からの夜景も見納め 遠くMIRAI TOWER(旧名古屋テレビ塔)

家に帰るのはやはり嬉しい、夜中3時頃から目が覚めてしまう。朝4時に起きて、一人ラジオ体操をし、荷造りする。ホテルの朝食はパスして5時にホテル最寄りの地下鉄久屋大通駅へ。誰もいない構内で15分ほど待って一番電車5:35分がやっとくる。5:40JR名古屋駅、名古屋駅で青春18切符5回目最後の日付印を押してもらってホームへ。
名古屋発6:00分浜松行に乗車~8:03 浜松着




浜松駅前
88日/直江津
99日/黒姫~市振
10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り

浜松駅で乗換 8:37分発~10:26 富士駅着、乗換 10:37~11:23 熱海 11:34~13:13 東京駅到着 熱海からの電車は夏休みで満員、モバイルSuicaグリーン券(\1000)購入して乗車。
浜松駅8:37分発沼津行

浜松駅で乗換 8:37分発沼津行で10:26 富士駅で熱海行の始発があるので下車して乗換 10:37分発熱海行に乗車。

88日/直江津
99日/黒姫~市振
10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり
24日下部温泉/墓参り


11:23分 熱海駅に到着。8月22日月曜日だが、来訪する人、帰る人で熱海駅はホームから構内どこも夏休みですごい人。


熱海駅

11:34分発の東海道本線(上野東京ライン)の電車は座るのたいへんそうなので、熱海~東京~自宅駅まで1000円でモバイルSuicaグリーン券購入して乗車。

88日/直江津
99日/黒姫~市振
10日/高岡~金沢
11日/金沢街歩き
12日/小松~山中温泉
13日/山代温泉~福井
14日/福井~奈良
15日/奈良/中元万燈籠
16日/伊賀上野
17日/奈良~大阪
18日/大阪街歩き
19日/膳所~敦賀
20日/大垣街歩き
21日/清州城と円頓寺
22日/18切符旅の終わり





座席で、モバイルsuicaをタッチするとランプが赤→グリーンに変わる。
熱海~東京~自宅駅まで1000円でグリーン車乗れるのは安く快適。
11:34分熱海発~東京駅~自宅駅に到着 思ったより早く帰宅したのでMが驚いて迎えてくれた。まだ腰痛が少し残っているようだが、24日からフランスから帰国の娘.孫と4人でお墓参りしながら温泉に行くので、温泉効果に期待しよう。

終

福島・会津若松 終

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8月24日(水) 下部温泉
新宿バスタ
切石郵便局
下部温泉・下部ホテル
下部温泉・下部ホテル

08日~14日一人旅(1)
15日~22日一人旅(2)
24日下部温泉/墓参り


8月24日 今年もお墓参りと下部温泉へ。前日ホテルに電話して24日午後1時半に、近くのお寺へ迎えをお願いする。
新宿駅についてから、線香を忘れたの気づきお寺の近くのどこかで売っているのではと期待しながら新宿バスタへ。


新宿発9:45分の身延山行高速バスに乗車。12:51分到着予定が10分遅れ13:00最寄りのバス停に到着。お寺近くにはお店などまったくなく一軒小さな雑貨屋さんが入り店番のおばあさんに「線香はありますか?」と尋ねると、棚の隅に、線香用ライターも一緒にならんでいた。よかったー、両方買ってすぐお寺へ。


無事お墓参りをすませる。
門前にホテルのマイクロバスが待っていてくれ、すぐホテルへ。


チェックイン
下部ホテル大浴場---ホテルのホームページより転載
手前が源泉浴槽
ある大浴場

08日~14日一人旅(1)
15日~22日一人旅(2)
24日下部温泉/墓参り

岩露店
ひのき風呂
内湯壱ノ湯
八角ひのき風呂
足湯
8月25日(木) 下部温泉
下部温泉・下部ホテル





08日~14日一人旅(1)
15日~22日一人旅(2)
24日下部温泉/墓参り

夕食
20時から一階ホールで和太鼓ショーと餅つき
8月26日(金) お墓参り
下部温泉
鰍沢口駅
お墓参り
しん坊~鰍沢口駅
甲府駅
新宿駅

身延線駅近くの「しん坊」で昼食


08日~14日一人旅(1)
15日~22日一人旅(2)
24日下部温泉/墓参り



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終
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